つくろい東京ファンドでは、2015年より空き家を活用した若者向けシェアハウス「ハナミズキの家」(東京都墨田区)の運営を行なっています。

先日まで「ハナミズキの家」に暮らしていたダンサーの權田菜美さんに家での暮らしぶりについてレポートを書いていただきました。ぜひご一読ください。

現代、東京で人間らしく暮らし直す〜ハナミズキの家居住レポート〜

權田菜美(ダンサー) 

私がハナミズキの家に住むことになったわけ

2015年、私は大学研究所職員としての生業に満足しつつ、余暇と週末はダンサーとして創作活動やデモに費やす日々を送っていた。2007年に大学院進学のため上京してからずっと一人暮らしをしてきた。一人で暮らすのにも飽きていた。だからと言って、血縁者やロマンチックパートナーと住むだけが人生ではないと考えていた。では自分は誰とどのように暮らしたいのだろう、と漠然と思うばかりだった。

ある日、ほとんど知り合ったばかりの友人から、シェアハウスに興味はないか?という旨の連絡を貰い、直ぐにイエスの返事をした。興味はあったが同時に、私は他者とうまく暮らしていけるだろうかという不安もあった。

詳細を聞けば、単なるシェアハウスではなく、貧困問題に長年取り組んできたNPO法人もやいの代表だった稲葉剛さんが新しく創設した、一般社団法人つくろい東京ファンド(以下、つくろい)という団体が主催していて、空き家を「東京の家賃の高さに悩む若者向けのシェアハウス(定員三名)」として活用するというプロジェクトだった。

つくろいのスタッフの方々と、入居を考えているメンバーと共に、物件を内見し、話し合いをした。初対面の人を含む入居予定メンバーと丁寧に話せ、二人とも自分自身の生き方を追い求めて一歩一歩歩んでいる人だということが分かった。さらに、何かあったらその都度話し合っていきたいと何度も言ってくれ、これなら丁寧な関わりができ、私でも大丈夫かもしれない、やってみよう、と心を決めることができた。更新したばかりのマンションを引き払い、東京の下町に引っ越してきた。

以下に、いくつかのポイントに分けて、三年住んだハナミズキの家での体験をレポートしたい。

下町・向島・ご近所

私は上京してからの二年は大学の近く市ヶ谷のあたりに住んだ。大学院を修了し初就職した三年目からは、友人の多くが新宿アナキスト界隈や高円寺の素人の乱などのコミュニティにいることもあって、両エリアへ通いやすい荻窪あたりに住み続けた。従って、ハナミズキの家への引っ越しで、初めて下町と言われる地域に移り住んだ。スカイツリーのお膝元、隅田川のほとり、浅草へも歩いて30分ほど、向島と呼ばれる花街、料亭街。時がひっそりと止まったような趣があり、周りは高級料亭、伝統工芸の職人さんの店、私が知る東京都は、全く違う東京だった。

地元のコミュニティが強く、近くのバーに行けば、小学校からの付き合いというような若い人たちが東京弁も威勢良く飲んでいたのも新鮮だった。「ねぇさん、」と小粋な呼び掛けで、輪が広がるのも面白かった。
ご近所の方には、五代、六代と続くお店の歴史や、向島の歴史を教えていただいた。貴重な体験だった。

他者と住まう・暮らす

ルームメイト二人と私の生活は、自分の生き方を模索したいと考え、それぞれの人生を歩んでいる他人同士が、単純に生活費を安くしようというだけでなく、話し合ったり、互いに助け合ったり、共有したりしながら、共に生活することを大事にしようとしていた。

生活の基礎になっていたこの考え方も、一緒に生活する中で共有され、言語化されていった。初めは、ほとんど何も知らない同士だった。ただ、「話し合いながら進めていこう」という二人の姿勢の丁寧さを信頼した。

他者と暮らすのは、面倒だと思う。一人暮らしをして、その面倒さを全て資本主義社会の中で、お金で外注して生きていくこともできる。血縁家族やロマンチックパートナーなどと暮らすことなく一人でも暮らせるし、親密な人間観関係を持たずに生きていくこともできる。特に都市ならば、職場や学校だけではなく、バーやカフェの店員さんや常連さんとのコミュニケーション、文化イベントや、政治イベント、スポーツサークル、習い事などなど、コミュニティには事欠かない。東京ではそうやって、たくさんのコミュニティの中で生きてきた。友人との交流の多い日々だったが、自分を打ち明けるのが苦手という性質もあって、日々の多くは、一人分の食事を作り孤食する面倒や寂しさ、自分の深い部分を誰とも分かちあえない寂しさも孕んでいた。

ハナミズキの家で暮らし始めてすぐに、他者と暮らすのは面倒なことばかりではないと分かった。私が抜けた今、また新しいコミュニティへと変わるだろうけれど、夕食を一品ずつ作って持ち寄って食べたり、互いの音楽や漫画などの創作作品を見せ合ったりした。今日あったことを話したり、悩みを相談し合ったりした。こんな単純な時間で、こうも人生が優しく豊かになるのかと驚いた。時には一緒にお茶やお酒を飲みに出かけたり、遊びに行ったり、レインボープライドやデモに一緒に行ったりした。互いが出演するライブやイベントを見に行ったりした。

個人が最も尊重されることも重要視していたため、縛り合うようなことはなかった。個別の時間やスケジュールはいつでも各々最優先し、互いに尊重されており、いつでもこういった関わりが可能なのではなかったが、家に帰れば気を許せる人がいて、独立しながらも互いの人生を支え合っているという事実は、人生の大きな基盤となり私に安心をもたらした。

ジェンダーとセクシュアリティー

ジェンダーやセクシュアリティーは、一人一人が違うものであり、互いのそれに配慮するのは生活の上で重要なことだった。
外から見ると、私たちは男女混合で住んでいたことになる。なぜそれで、性的行為や性暴力、性的役割分担が生まれないのか理解できない人々から無遠慮な質問を受けることがあった。例えば、「男女で暮らすなんてありえない」「いいの?(それは社会的に許されるの?という意味)」「(性的なアプローチや関係は)何もないの?」「信じられない。(性的なことなしに)異性と暮らすの無理」「家事の分担はどうしているの?」というような。この話題を酒の肴にしたい人や、セクシャルハラスメント言動に及ぶ人もいた。「性別=二種類=男女=家事分担」そしてこれとセットで「男女の人間関係からセックスを抜くことはできない」と考える人々にとっては理解し難かったのであろう。

ジェンダーは男女以外にも多様であり、互いのプライバシーを思いやり配慮し合うのは、何もジェンダーに限った話ではないく、他者を一人の独立した個として捉え、尊厳を尊重し、関わり合おう、共に生きよう、と挑戦していくことだと話した。
自分自身の暮らしに、ステレオタイプな思考や規範を越えた暮らしへの挑戦が持たらされた豊かさに感謝している。

住みびらき・こども食堂

ハナミズキの家に住む前から、自分の住んでいる家を場としてコミュニティや地域に開いていく住み開きに興味があった。それは、渋谷のじれんで野宿者運動に参加したり、ドイツやフランスなどのスクワット運動(不法占拠した空き家に住む)に触れたり、『住み開き〜家から始めるコミュニティ』(アサダワタル著、筑摩書房、2012年)、『国のない男』(カート・ヴォネガット著、NHK出版、2007年)『気流の鳴る音〜交響するコミューン』(真木悠介、ちくま文芸文庫、2003年)という本を読んだり、素人の乱やCafé Lavanderia、イレギュラー・リズム・アサイラム、気流舎といったお店やコミュニティへ通っていたりした影響が大きかった。

ハナミズキの家では、つくろい主催で毎月2回リビングダイニングを利用して、こども食堂が開かれている。私が住民として手伝ったのは、キッチンや玄関をできるだけ片付けておくことと、こども食堂用のふきんを洗濯しておくことくらいだったが、住民と地域の子どもや家族などと交流を広げていくことも可能であっただろう。

リビングを利用してイベントを開いたこともある。沖縄の辺野古のヘリパッド建設反対運動をしているONE LOVE 高江の活動報告会や、ルームメイトのアコースティックなライブなど、普段訪れない人が来てくれ、玄関に溢れんばかりの靴とともに、家という空間が醸し出す優しい雰囲気の集まりになった。

また、国内外からの友人が東京訪問の際に、うちに泊まることがあった。浅草も近く、静かでディープな下町をみんな楽しんで泊まっていたように思う。夏には、隅田川の花火大会がベランダや屋上から見えるため、友人たちと持ち寄りパーティーを3年連続で開いた。互いの友達が、友達になっていく瞬間はとても美しく、嬉しいものだった。
私は人を家に招くのが大の苦手だったが、暮らしの中でいつしか変わり、友人たちの往来を楽しんでいた。

最後に

シェアハウス、住みびらき、こども食堂、これらは時代の最先端の暮らしのような気がしている。血縁家族や、ロマンチックパートナーによる暮らしの問題点の一つは、コミュニティが閉じていて、その最小限の生活ユニットだけで問題を解決しなければならないと、多くの人が誰に言われるとでもなく自然に考えているところにあると思う。よって、DVなどの問題も顕在化しにくいように思う。人間は、多くの人間と触れ合い、深く浅く多様な付き合いの中で生きて行くことが健全に生きるコツのように思える。家族、恋人、友人、地域コミュニティ、、、重層的な関わり合いのなかで生きるのが安心なのではないか。

田舎出身の私は、狭くて濃い人間関係で生きてきた。深い繋がりに知らず知らずのうちに安心感を得つつも、同調圧力で心や人生に土足で踏み込まれることを嫌った。上京し、ハナミズキの家に来る前の一人住まいしていた自分は、他者ともう一歩踏み込み合えず、絶えず寂しさを抱えていた。ハナミズキの家で暮らしたことによって、自分を大事にすることと、他者を尊重し愛することが同時に存在すること、むしろそうでなければならないことを、少しずつだが感覚として獲得した。それは他者への愛と信頼に依拠している。そして、他者との暮らしとは、時に深く頼り合うことのできる人間関係を一生をかけて少しずつ育んでいくものだと感じた。

ハナミズキの家での生活は、私の人生を大きく変えた。住んでいる間に、自分の過去のトラウマの存在に気づき、それと向き合う力を得られた。自分の道を定め決意し、フリーランスのダンサーになった。今まで自分の中になかった幸せの概念を獲得した。

ハナミズキの家は「東京の家賃の高さに悩む若者向けのシェアハウス」として活用するプロジェクトだが、解消されたのは家賃の高さだけではなかった。頼り合う、自分を大事にし、人と暮らす。人間が人間として生きるうえで大切な礎を、30台半ば、ようやく築くことができたように思う。

プロフィール
權田菜美(ゴンダナミ)1983年生まれ。愛知県出身。
高校生時代に、今話題のダンス部の部活動をきっかけにダンスを始める。
主なスキルは、モダンダンス、クラシックバレエ、ジャズ、パフォーマンス・アートなど。
上智大学博士前期課程修了(修士号・地域研究)。文系ダンサー。
2018年は、第30回カサブランカ大学国際演劇祭(モロッコ)に日本人初出品、作品名「I’m Frida」。アートフェスティバルVIVE MEXICO TOKYO、メキシコ大使館でのメキシコ独立記念パーティーなど出演。
東京国際フランス学園8歳9歳クラス、ダンス講座「Meet Me and Dance」や、CINRA株式会社、ストレッチ部、クラス名「In the office and in life」、などの講師を務める。
開講中のオープンクラスは、
第3日曜、高円寺ビーガンカフェLoca Kitchenでの「おいしいストレッチ教室」。
毎週木曜木曜、高円寺の自由芸術大学でストレッチ講座 。
開脚、ダンス、体幹などご要望に合わせたパーソナルトレーニング。

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