カフェ潮の路を支える人たち~ご近所編(2)落語家 立川らく人さん

その人はいつも、閉店近い夕方のカフェにやってくる。
立川らく人さん、34歳。
カフェから徒歩3分ほどの近所に住む、立川志らく一門の二ツ目さんである。軽やかに階段を上がり、カフェフロア―に現れると、常連のお客さんたちから次々に声が上がる。
「おー、らく人さん!」「こんにちはー!」「元気?」

2017年4月、カフェに先駆けて開店したコーヒースタンドに彼はやってきた。落語家と知り、いちかばちかで「うちで落語会をやって」と頼んでみたら、「いいですよ」とあっさり引き受けてくださり、6月にはキッチンカウンターを即席の高座に見立てた手作りの落語会が実現した。

狭い店内に20人超の常連さんや地域のお客様がぎゅうぎゅうに詰めて見つめる中、カウンターの上の高座から、らく人さんは「権助魚」「青菜」、そして中入りを挟んで「禁酒番屋」の三席を披露してくださった。

生の落語なんて、オレ、初めて聴いたよ!
観客の中には、これまで落語を聴いたことがない若者や、生で聴くのは初めてという方がいた。独特の言葉遣いや言い回しが分かるだろうか?階段に座って客席を眺めていた私の心配は杞憂に終わる。

身を乗り出すようにしてらく人さんの落語に耳を傾けるお客さん達は、目を輝かせてカウンターの向こう側に広がる江戸の世界を見つめていた。「禁酒番屋」では、大波が打ち寄せるような爆笑が何度も起こり、笑いすぎて目尻の涙を拭くおじさんの姿も見られた。普段、爆笑するほどに笑う常連さん達の顔を見ていなかった私は、ただただ、その顔を眺めるのが嬉しくて、胸を一杯にしていた。

この落語会をきっかけに、カフェ一周年記念イベントにも来ていただいたり、独演会や、志らく師匠との親子会にカフェの常連さん達とみんなで出かけることが増えた。

人生の長い長い年月を異国で過ごし、命からがら帰国した人が「芝浜」に涙ぐむ。そんな姿を見ていると、衣食住を満たし、関係性を助ける支援に「文化」を加えたいと思うようになった。予算がなくて、なかなか進まないのであるが…。

らく人さんプロフィール

1985年4月16日、鳥取市米子生まれ。
高校時代はバンドでギターを弾き、「ディープ・パープル」や「クリーム」などのハードロックを好んで聴いていた。「クリーム」のメンバーであるエリック・クラプトンが来日した時には、高校を休んで大阪まで観にいった。
横浜国立大学教育人間科学部マルチメディア文化課程に入学した一年目に、人生初の「生」の落語を聴き、衝撃を受ける。
座布団に座った落語家が一人で、扇子と手拭いだけでこれだけ大勢のお客様を笑わせることができるのだから、すごい職業だと思った。

ボンヤリと落語家を夢見るようになると、勉学はほどほどにして図書館に入り浸ったり、バイトに精を出したり、映画監督を目指す同級生たちの影響を受けて映画をたくさん見るようになり、エルンスト・ルビッチ監督(独)の「生きるべきか死ぬべきか」「ニノチカ」「桃色の店」で交わされるウィットに富んだ会話に魅せられたりしていた。落語と同様、想像が広がる世界を好んだ。

バイトをするうちに、自分が決まった時間に起きて、決まった仕事場に向かうというような生活も、グループワークも、非常に不得手であることが分かった。いわゆる普通の仕事は、自分には向いていないのではないか。

立川志らく師匠の門下へ

同級生たちが次々と就職していく中、卒業後のあてもなく大学を卒業。フリーターとして警備の仕事などに就きながら「フワッとした1~2年」を経て2011年4月、ついに落語立川流真打・立川志らくに入門、前座となる。
数ある落語家の中で立川流を選んだ理由は「勿論、師匠が好きだからです。加えて寄席がないから」と即答する。
家元である立川談志師匠が落語協会を脱退しているために、立川流の落語家たちは浅草演芸ホール、池袋演芸場、新宿末広亭などでの寄席に出られない。それが、らく人さんにとっては都合が良かった。なぜか。

寄席に出る落語家の門下に入れば、その前座修行は寄席での楽屋仕事と相場が決まっている。寄席は365日開かれているので、毎日毎日休むことなく寄席に通わなくてはならない。三度の飯より休みと自由が好きな自分に勤まる気がしなかったのだと、まるで落語に出てくる「若旦那」を地で行くような言い分が面白い。

家元のDNAを色濃く受け継いでいると感じて師になってもらった志らく師匠は、高座での印象とは違い、物静かな人だった。放任主義で弟子の面倒を見ない。「やるやつは面倒見なくても勝手にやるし、やらないやつはどのみちやらない」と達観した志らく一門は、自力で道を切り拓く人に向いている一門だった。

前座修行の苦労

自分のペースで働くことができて、労働時間も短い。その上、人を笑わせ、楽しませることがお金になる。こんな素敵な職業はないと飛び込んだ落語の世界。しかし、当然、世の中そんなに甘くはないわけで…。

「前座時代は常に気遣いや配慮が求められます。私の特に苦手な分野です。常に神経を研ぎ澄まして師匠の行動や要望を先回りして気付かなくてはならない。苦手です。常にピリピリした環境で疲れ果て、失敗しては怒られて、家に帰ってずっと不貞寝してました」

そんな前座修行を一日も早く卒業したい一心で、立川流二ツ目昇進基準である「古典落語五十席と歌舞音曲」を満たし、晴れて二ツ目昇進を果たす。志らく一門の中では最も早い3年10か月というスピード昇格だった。

しかし、二ツ目になれば万事解決というわけでもない。普通に働いた方がお金は稼げるだろうし、浮き沈みの激しい水商売なので、仕事が少ない時は生活保護基準以下の生活費でしのいでいたりもする。
「でもまぁ、好きなことをやっているので」あくまで飄々としている。

落語大全集への大きな挑戦

師匠である志らくさんは、2015年1月から「志らく落語大全集~16年かけて203席~」という独演会を国立演芸場で年4回開いている。予定通りに行けば、2030年に完結する前代未聞のシリーズ型独演会なのだが、そこで掛けられた演目を追いかける「立川らく人 落語大全集」が既に4年続けられている。

こんな壮大なチャレンジは無謀だと思わなかったのだろうか?
「とにかく面白そうだと思ったのでやってみました。16年ネタ出しをする師匠も前代未聞なら、それと同じネタを後追いで弟子がやるのも前代未聞なので。それに二ツ目はまだまだ失敗しても良い立場ですし、たくさんある落語会のなかでお客様に来てもらうためには何か引っ掛かりが欲しかったというのもあります。やりなれたネタではなく、私にとってはネタおろしばかりなので、お客様がどのような反応をするのかわからないので、ウケないんじゃないかという不安は常に付きまといます。そんな不安はこの会に限ったことではありませんが。落語は自由ゆえに無限にやり方があるので、常に悩んでいます。しかし、噺(はなし)を覚えるのは得意な方だし、好きなので苦にはならないです。嬉しいことに、このシリーズを始めて、師匠のファンが来てくださるようになったり、ピンポイントではなく継続的に応援してくださるお客様が増えたりしました。」と、語る顔に自信と謙虚さが浮かぶ。
「あと12年で完結するのですが、その時は師匠と同じ国立演芸場でできるように精進したいと思います」

ところで、最近、普段滅多に怒らない師匠の怒りを買い、志らく一門の二ツ目が全員前座に降格されるという事件が報道された。3か月後に全員が無事に二ツ目復帰。過ぎてしまえばすべてがネタとなる、それも落語の強み…なんだそうだ。

潮の路とのコラボ…というより無茶振り。

以前、「カフェ潮の路」では、一周年記念のイベントに向け、脚本家の小金丸大和さんにお願いして、ホームレスの男性を題材にした新作落語「猫の手」を書いていただいた。演じるは勿論、らく人さんである。

また、カフェともご縁のある小説家星野智幸さんが「焔」という短編小説集で谷崎賞を受賞した際に、有志でお祝いのパーティを企画。らく人さんには短編集の中の二話を土台にした新作落語「分岐点」と「カラス」を作ってもらい、パーティで披露してもらった。

らく人さんにとっては人生初の新作落語。気軽に依頼した私も私だが、「いいですよ」と軽く引き受け、見事にやり遂げてしまうらく人さんの度胸と能力には驚く。

パーティ会場となった古民家カフェ「モモガルテン」で、柔らかい灯りの下、落語家の周辺を囲むように集まったお客様は大いに笑って楽しんだ。司会を担当していた私も、誰もが幸せそうに笑う姿を見て、今、日本中でこの場所ほど平和でハッピーな空間があるだろうかと思ったほどだった。

「ダメな日もたくさんあるけど、この稼業を続けられるのは、時々ああいう夜があるからです」と、らく人さんは笑う。

ダメなことを享受するのが落語

「落語家になっていなかったら、普通に就職して、続かなくてすぐ辞めて、フリーターになって、ある程度お金が溜まったらアジアあたりをフラフラ旅してたんじゃないですかねぇ」と、らく人さんは想像する。

ふわっと捉えどころがないようでいて地道な努力家、派手にスターダムに躍り出るよりは、今の自分は一歩一歩を固めていくべきと真面目に古典に向き合う反面、チャレンジも恐れない若い落語家は、鳥取県米子市の観光大使でもある。

「落語は業の肯定。良いこともダメなことも享受するのが落語です。そういう意味では、多彩な人が集まるカフェ潮の路は、とても落語らしい場所と感じます」とおっしゃる。

話術や声のトーン、表情やしぐさだけで、江戸時代の人々を活き活きと浮かび上がらせる噺家さんが今ハマっているのは、ルーマニアのジプシーバンド「タラフドゥーハイドゥークス」。

江戸、米子、そしてルーマニア。広い守備範囲を心は自由に行き来して、庶民の声や笑い声、土の匂いや風、そして何より芸能を吸収しているのだろう。

将来が楽しみな落語家「立川らく人」を皆さんもどうぞご贔屓に!(小林美穂子)

【お願い】カフェ潮の路で開催した落語会から2年以上が経ちました。カフェに集うお客様たちに、また参加費無料の落語会を開きたいと願っています。つくろい東京ファンドの文化イベントに賛同してくださる方がいらっしゃいましたら、その旨明記してご寄付をいただけると大変ありがたいです。よろしくお願いいたします。

寄付に関する詳細は下記の画像をクリックしてください。

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