ここ数週間、「つくろいハウス」からアパートへ3名の方がお引越しました。冒頭の言葉はそのうちのお一人、Aさんから出た言葉です。
Aさんは15年以上、路上で暮らしてきました。ものを拾ってそれを売ることで生計を立ててきました。

「おもての生活はきついですね。冬は寒いし、夏は暑いし。夏なんか寝てたらネズミが顔の横を通るし、蚊でかゆいし。オオスズメバチが頭にとまってたこともありますよ(笑)」

Aさん、Bさんがかつて野宿していたベンチ

Aさんはつくろいハウスにいる間、口癖のように「本当にアパートに入れるんですか?」と言っていました。私が入れますよとお伝えしてもその会話は何度も続きました。
とうとうアパートに引っ越すことが確実になったとき(なぜ路上からアパートへすぐに行くことができないかについてはまた今度書きたいと思います)、Aさんは冒頭の言葉を言いました。

私がなんで入れるとは思っていなかったんですかと問いかけると、Aさんは「おもての生活の時はアパートなんて考えられなかったし…。私みたいなのが入れるとは…。」と答えました。
続けてAさんは「自分も入れたし、□□公園にいる○○さんに声かけてみたいと思います。ここ(つくろいハウス)に連れてきますよ。○○さん体調悪そうだし。」と言いました。

正直、私はAさんがなぜアパートには入れないと思い続けていたのかわかりません。しかし、その思いをAさんが自ら打ち破って、同じ境遇にある人の「アパートには入れない」という思いを打ち破るお手伝いをしようとしています。同じ境遇にいたことのない私にはなかなかできないことです。

Aさんがお引越してまもなく、Bさんもお引越しました。
BさんもAさんと同様に15年以上、路上で暮らしてきました。私がBさんにアパートへのお引越が決まった今どんな気持ちですかとうかがうと、Bさんは「うーん、なんもないよ、まあ、順調にいってよかったな」と言いました。

支援者(少なくとも私)は、このように問いかけた時にAさんのように「まさか入れるとは思わなかった」といった、ある種、感動的な言葉を期待してしまいます。

Bさんから出た言葉は私が期待していたものとは違うものでした。しかし、Bさんの言葉はなぜ私がハウジングファーストを掲げて活動しているのかを再確認させてくれました。

つまり、安定した住居を手に入れることは感動的なことでも歓喜することでもなく、Bさんのおっしゃるように「なんもないこと」、「普通」なことなのです。
安定した住まいを得ることは特別なことではなく、「普通」なこと。ハウジングファーストはまさにこのことを意味しています。

Aさん、Bさんは無事アパートに入ることができ、私はお二人から大切な言葉をもらいました。

しかし、私たちの関係は「アパートには入れました。良かったですね」で終わりません。

ある時、Aさんが「おもての生活」をしていた時に交通事故にあったお話をしてくれました。車に轢かれたけれども2万円をもらって解決したとのことでした。私はそれでは少なすぎるし、警察を呼んだほうがよかったんじゃないですかと問いかけると、Aさんは「どうせその夜も段ボールにくるまって寝るだけだったしどうでもいいなと思って」と言いました。

それに対して私は、「どうでもいいという思いは、アパートが決まった今はどうなんですか」と問いかけると、Aさんは「うーん…。」とおっしゃったあと、何も話しませんでした。

今後私がすべきことは明確です。
しかし、簡単な道のりではありません。また悩み続ける日々が続きそうです。

最後に、いろいろと書きましたが、Aさん、Bさん、文章には出てこなかったCさん、無事アパートに移れて本当によかった!(つくろいハウス生活相談担当・大澤)

※つくろい東京ファンドでは、「アパートに入った後」を支えるためのカフェを4月に開設します。現在、クラウドファンディングのキャンペーンを行なっていますので、ぜひご協力ください。

「住まい」の次は「仕事」と「居場所」!ホームレス経験者が働く自家焙煎カフェを作りたい! – クラウドファンディング MotionGallery(モーションギャラリー)