12月1日から開始したこのクラウドファンディングも、残すところあと1週間となりました。これまで、623名の方々に、700万円を超えるご支援をいただきました。本当にありがとうございます。
最終的には、4世帯の住居を提供する予定の「りんじんハウス」ですが、そもそも住居を提供していただくことがなければ、絵に描いた餅にすぎませんでした。
今回は、この物件を提供してくださった「りんじんハウス」の大家さん、高橋さん(仮名)のインタビュー記事をお届けします。
当日は、つくろい東京ファンド生活支援スタッフの大澤がお話を伺いました。
高橋さんは、気恥ずかしそうな笑顔を浮かべながら穏やかな物腰で、時にユーモアを交えながら、ご自身の生い立ちや経験、これからの社会に対する思いを誠実に語ってくださいました。
難民・仮放免者の方々が強いられている過酷な状況は、根本的には制度を改善しなければ解決することができません。一方で、いま目の前にいる方を「ホームレス化」させないこともまた、疑いの余地なく必要なことです。
その両輪を回していきたいと私たちは考えています。
そして、この「りんじんハウス」プロジェクトを支えてくださっている皆さまも、すでにともに生きている「りんじん」に思いを寄せ、私たちとともにその両輪を回しているかけがえのない隣人です。
高橋さんは、そんな隣人が一人、二人と増えていくことを「社会に光を灯すようなこと」だと語っています。
「社会に光を灯すこと」〜「りんじんハウス」の大家さん、高橋さんのインタビュー
ヨットで太平洋を渡りたい!〜高橋さんのライフヒストリー
大澤:生い立ち、子どものころの思い出などを聞かせてください。
高橋さん:生まれは昭和26年(1951年)で、東京の下町の方で暮らしていました。当時は、戦後のなごりとまでは言いませんが、その雰囲気みたいなものが残っていましたね。家の向かいには化粧品会社の工場があって、前の道を馬車が走っていました。その光景は今でも記憶に残っています。
小学校の頃は本当に困ったガキでした。とても言えないような恥ずかしいこともしてましたね。
今もそうですが、当時からとてもお喋りで、小学校6年生の時に朝礼でもかまわず喋っていて、全校生徒1000人の前で殴られたこともあります。時代ですよね。
勉強はそれなりにできました。中学校に入ってすぐのテストでは学年でトップの成績を取ったんです。自分でも「あれ、僕は優等生だったのか」なんて気取ってしまいました。でも、周りの生徒たちは小学生の頃から一緒なので、私が悪ガキだったことを知っているから、よそよそしい態度を取られたり、待ち伏せされて喧嘩を売られたこともありました。
中学1年生の時に父を亡くして、「この先の生活はどうなるんだろう」と精神的に不安定になりました。そういうこともあって、気がつくと勉強から手が離れてしまった。だから、2年生に上がった後は成績が落ちましたね。プライドがひどく傷つけられましたよ。学校に火をつけてやろうかと思うくらい嫌になってしまって。もちろんそれは冗談ですが、かなり落ち込んでいたのは確かです。
大袈裟な話ですが、そういう経験もあって悪いことをしてしまう人の気持ちも想像できる部分があるんです。人に内在する悪徳というか、どんな人間でも環境的に追い込まれると悪事に手を染めてしまう。大事なことは、避けられるのであれば、そういう環境に身を置かないことだと思います。
中学校を卒業したあとは、工学関係の高等専門学校に進みました。理由は特に覚えていません。今思い返せば、進学して親に迷惑をかけたくなかったのかもしれません。
でも、入学したはいいものの、不器用だったし、興味もまったく持てませんでした。ちょうどその頃は学生運動が盛んな時期だったということもあって、学校に行かない日もありましたね。
大澤:学校以外に何かされていたことはありますか?
高橋さん:そうですね、18歳の時にアルバイトで貯めたお金でヨットを買いました。私が10代前半の時、堀江謙一さんと言う人がヨットで太平洋を横断したんですが、私はその姿に憧れて「自分だったらこんなヨットに乗りたい!」と絵に描いていました。それで、18歳の時にお金を貯めてヨットを始めました。
大澤:卒業後は何を?
高橋さん:私は働くとか、企業に属するみたいなことにまったく興味がなくて。じゃあ何がしたかったというと、好きだったヨットに乗って「太平洋を横断したい!」と、本気で思っていました。そのためには、700万円くらいのお金が必要でした。当時、大卒の初任給が5万円くらいなので、かなりの額ですよね。
大澤:大金ですね。それでもどうにかして行こうと考えた?
高橋さん:はい。そのお金を2年で貯めようと思いました。「じゃあどうやって稼ごうか」、考えたのが「タバコ屋をやろう」ということでした。
私は高校生の頃からアルバイトで生活費を賄っていましたが、勤め先の一つが銀座の飲食店でした。このお店では食べに来たお客さんに売るためにタバコを置いていたんです。当時はそういうお店がけっこうありました。
私はよく、店に置くタバコの在庫を補充するために、近所のタバコ屋まで買いに行かされてたんです。一回に数十箱買って、それを買ったままの値段で売っていました。それで、ふと思いました。「あ、喫茶店とか飲食店向けにタバコを販売して届けに行けば商売になるんじゃないか」と。レジの人が買いに行く手間がはぶけるわけですから。
思い立って、販売の許可を取りました。名刺を作ったんですが、恥ずかしかったですね。20歳の青年が「高橋タバコ店」なんて銘打ってるんですから。それに最初の頃は、お店に営業に行くのも恥ずかしかったです。レジのところで話をするんですが、レジが出入り口の近くじゃなく、奥の方にあるお店もありますよね。そういうお店でいざ、「タバコ屋なんです、買っていただけませんか」なんて話をすると、お客さんがいっせいにこっちを見るんです。「こんなとこまでタバコを売りに来るのかよ」って。
でも、売らないとしょうがないので、1日50軒くらいのお店に営業に行きました。そうするとそのうちの1軒くらいは、「いいよ、持ってきなよ」と言ってくれた。続けていくうちに、10軒、50軒と増えていきました。週に2、3日届けに行くようになって、月20万ほどの稼ぎになりましたね。
ただ、軌道に乗りはじめた頃にちょうど石油ショックになってしまったんです。トイレットペーパーとか洗剤がお店からなくなったというのは有名ですが、タバコの仕入れも滞ってしまいました。元来飽きっぽい性格だったのもあって、「じゃあ、やめようかな」と、あっさり店をたたみました。
大澤:本当にあっさりですね。その時の貯金で、無事に太平洋は渡れたんですか?
高橋さん:それが無理だったんです。だから、目標をググッと小さくして、エーゲ海に行こうと思いました。
大澤:太平洋をやめてエーゲ海。
高橋さん:はい。それで、ギリシャに滞在しようと考えましたが、長くいるためにはビザが必要なので留学することにしたんです。半年間は予備課のような形でギリシャ語を勉強しました。そのあと、入学試験をパスして正式に入学することができました。ちょうど入学した頃に日本の大使館から、「働きませんか」と連絡があったんです。現地の言葉ができる日本人が少ない時代でしたからね。それで大使館で働き始めました。
1年後、そうやって仕事をしながら貯めたお金でヨットを買いました。ギリシャでは1ヶ月くらいのまとまった休みが取れたし、ヨットハーバーは家から20分ほど。しかも日が長いので、念願のヨット三昧の日々を過ごしました。青春の思い出ですね。
それから5年ほど経って日本に帰ってきました。ヨットを売ったお金でキャンピングカーを買って、半年ほどヨーロッパを放浪したあと、今度はロンドンでそのキャンピングカーを売って、帰りの旅費にしたんです。
帰国後は、「そろそろまともに働くか」と思って会社に務めました。30代半ばの時に独立して、外国人の方が住む物件の管理会社を始めました。当時はそういうことをやっているところが少なかったですから。その後、55歳の時にこの会社を売却して仕事をやめました。
大澤:タバコ屋さんを営んでいたことは知りませんでした。それに、今さらっとお話しされてましたが、一連のプロセスが常人離れしているというか。『タバコ屋から始める〇〇』みたいな新書が書けそうですね。
高橋さん:時代というのが大きかったと思います。分かりやすいところだと、今じゃタバコ屋なんて成立しないわけですよね。ただ、商売は考えればいくらでもあるんじゃないかなと思います。そういう意味では商売が自分の性に合っていたんです。別に好きだったわけではないけど、性に合っていた。好きかと言われると、そもそも労働すること自体、好きじゃないですからね。でも、自分の身体と頭を精一杯使えば、それぞれにできることがあるんじゃないかと思います。
ところが、大澤さんたちが接している難民や仮放免の方々はそういうわけにはいかない。仮に身体と頭を精一杯使って何かをしようと思っても、がんじがらめで動けませんよね。これは本当に困ったものだなと思う。どこに糸口があるんだろう、と。
大澤:本当におっしゃる通りです。ある種の「何かやりたいんだ」というハングリー精神があっても、在留資格がない方々は働くことが罪に問われます。サポートした側も、です。制度によって作られている過酷さがあります。ただ、難民や仮放免の方々は、強いられている困難の中でもどうにか暮らしていこうとしている。理不尽な状況であるということが前提ですが、本当にたくましい方々なんだなと実感するし、お子さんたちが屈託のない笑顔でいるのを見ると励まされます。
「むしろ、私としては感謝の思いがある」〜「りんじんハウス」の大家さんになった理由
大澤:「りんじんハウス」として貸していただいている住居は、高橋さんから私たちの方に「こういう家があるんだけど使いませんか?」というご提案があって進んだ話でした。そのご連絡があって、私たちから「住まいのない外国人、特に難民や仮放免状態にある方々が大変な状況に置かれています」ということをお伝えして、今日に至っています。これは私だけじゃなく、つくろい東京ファンドのスタッフや、支援に関わっているいろんな人が言っているんですが、「なんでこんな人がいるんだろう?」と。ほとんど見ず知らずの団体に家を提供して、その上、クラウドファンディングで賄えない修繕費なども負担していただいています。
ほかにも印象的なエピソードがあるんですが、「りんじんハウス」の清掃を行った時に、排水溝が詰まってしまった。水が流れないので、みんなで「どうしようどうしよう」と困っていた時に、高橋さんは一切ためらうことなく、服を汚しながら詰まっていた髪の毛を取ったんですよね?
素朴に、「どうしてこんなことができるんだろう」と思っています。
高橋さん:そう言われると恥ずかしくなってしまいます。小さい頃からそういうことに憧れていた、ということはあるかもしれません。
先ほど「人間の悪徳」ということをお話ししましたが、同時に、人にはそうではない側面もあるんだと思います。どこかで「人の役に立ちたい」と思っているというか、色々な面を持ち合わせている。そういうことではないでしょうか。タイミングや縁みたいなものによって、いい面も悪い面も引き出される。だから、私がしたことをもって「高橋はいい人間」ということではありません。もしかしたら、今していることだって気まぐれかもしれませんから。でも、根底にある思いは、日々支援に奔走されている皆さんと共通するところもあるのかなと。私なんかは、ただの部外者なので恐縮ですが。
要するに、タイミングがうまく噛み合ったということなんだと思います。何かしたいと思っていても行動に移せないときはある。私も長らくそうでした。だからむしろ、私としては感謝の思いがあるんですよ。こんなことで助けになって、少しでも喜んでもらえるなら、単純な人間ですから「もっと何かできないかな」なんて考えちゃいます。
支援活動の現状〜失敗するかもしれない、それでも続けていくしかない
高橋さん:すみません、私が話を聞かれる立場なんですが、ほかにも何かできないか、という延長でお伺いしたいことがあります。大澤さんは医療の支援なども行われていますよね?
いずれはそういうことも、できる範囲で支援できないかと考えています。ただ、難民や仮放免状態の方々というのは、慢性疾患などを抱えている方が多いと思うんですが、そうなると一度の診療で終わり、というわけにはいかないから、大変なこともあるんじゃないですか?
大澤:はい。経済的な負担を避けるために病状が悪化するまで病院に行かない、行けない人も多いですし、入管への収容を経験された方は肉体的にも精神的にも深刻なダメージを受けているケースが多いので一度の診察で終わる、ということはなかなかありません。
高橋さん:通院や手術が必要な場合はどうされているんですか?全て支援団体で負担するのは難しい気もしますが。
大澤:無料低額診療事業というのをやっている病院もあるので、そういう病院に受け入れてもらうこともあります。
高橋さん:ああ、そんな事業があるんですね。
大澤:とは言っても、全国の病院のうち、0.7%の病院でしか実施されていません。そして、その中のさらに限られた病院だけが外国人の方も対象に含めているという状況なので、数少ない病院に負担が集中してしまっているという問題があります。
高橋さん:やっぱり、厳しい現状があると。
大澤:あとは、やはり、住まいの問題も本当に深刻です。ちょうど今、もう少しで出産、という難民の方を支援しています。その方の住まいの確保も大変でした。
せめて数ヶ月単位でいいから安定した住まいを確保したかったのですが、数週間にわたってホテルに泊まってもらわざるを得ませんでした。
そうなると、こちら側の金銭的な負担も大きいですし、ご家族で逃げてきた方なのでホテルの狭い部屋は住環境としては不十分でしたね。
高橋さん:住環境はやっぱり大事ですよね。つくろい東京ファンドでは、ハウジングファースト型の支援を大切にしていると以前に伺いましたが、やはり衣食住。住まいは生活の基礎ですよね。
大澤:実は以前、ドイツの難民支援の視察に行ったことがあるんです。その時に支援者の方から難民シェルターの状況を教えてもらいました。環境が充実していたことが記憶に残っています。あと、ドイツの視察ではほかにも印象に残っていることがあります。ちょっと私の話になってしまいますが、その時の経験がいま役に立っていると感じているんです。その時はちょうどシリア危機で、シリアの方を含む100万人を超える難民の方たちが国を追われドイツにやってきたそうです。難民の方たちが、行政の窓口で申請を行うために列をなしていたのですが、遅々として進まない。寒い中だったので凍死してしまう方もいた。そんな過酷な状況だったので、私がヒアリングしていた支援者の方が泣き出してしまったんです。100万人が押し寄せてとても対応できる状況ではなかった。「この取り組みは失敗するだろう、それでも私たちはやるんです」と、その支援者の方はおっしゃっていました。結果的にはうまくいった部分もあったんですが、本当に大変な状況だなと思いました。ただ、その時は実感があったかというと必ずしもそうではなかった。でも、今の日本では同じようなことが起きています。もしかしたら、このまま支援を続けても埒が開かないかもしれない。失敗するかもしれない。だとしても、続けていくしかないと思っています。
高橋さん:部外者なんかが本当に恐縮ですが、私もそう思います。
皆さんのような方々がいるから、日本人の体面が保たれていると思いますよ。
大澤:難民の方々に対して、これほどまでに冷たい対応をしてしまうと、国際社会からの信頼がどうなるんだろう、ということは気になりますよね。日本社会はダメなところだと、どうしてもそうなってしまう。私としては、「本人の生活を支えたい」という気持ちと「日本社会をどうにか保たせたい」という気持ち、両方あります。せっかく住んでる国ですから。
高橋さん:少し昔話をしてもいいですか?若い頃にギリシャに行ったという話をしましたよね。ギリシャに行ったのはエーゲ海でヨットをやることが一番の目的だったんですが、そのきっかけになったのが小田実さんの『何でも見てやろう』という旅行記でした。この本の中で、彼がギリシャにいた時のことが多く書かれていたんです。その中に、宿がなくて困っていたら家でもてなしてくれた人がいた、そんなエピソードがありました。私がギリシャに渡ったのはそこから十数年の隔たりがありますが、まったく同じ体験をしたんです。
ある村にたどり着いたけど、そこにはホテルが一軒もなくて、「どうしよう」と途方に暮れていました。そんな私に声をかけてくれた人がいて、家に泊まらせてもらったんです。人を呼ぶもんだから、てっきりそれなりの家なのかと思ったら、ぜんぜんそうじゃなかった。レンガの壁、床は土で、その上にそのままベッドが置いてありました。でも、鶏料理をご馳走してくれて、真新しいシーツまで出してくれた。今の日本でそういうことがあるのでしょうかね。
大澤:そのお話を聞いて、先ほどお話しした難民の方のことが頭をよぎりました。その方はお子さんたちを連れて逃げてきて、お腹には赤ちゃんもいる。そんな状態で彼女たちは一晩、駅で座って夜を越したそうです。「誰か声をかけなかったのかな」と思いました。今のお話を聞くと、ギリシャだったら誰かが声をかけたんじゃないかなと、そう思います。
「ゆとりのある社会にならなきゃ」〜これからの社会について思うこと
大澤:いま、難民や仮放免状態に置かれた方々の状況はとても深刻ですが、この先どうなったらいいとか、社会としてどんなふうになっていったらいいな、というイメージがあったら聞かせてください。
高橋さん:私は専門家じゃないし、部外者なので、ざっくりとしたことしか言えません。それに、大言壮語になってしまいますが、私はいろんな意味で社会として流動性を高めることが大事なのではないかと思っています。簡単には言い切れない問題ですが、いじめの問題や会社での人間関係なんかもそういうところがあると思います。嫌ならさっさとやめることも大切というか。もちろん学校も会社も悪いんです。でも、家庭の中や属しているコミュニティの中で、「型にはまらないとだめだ」という圧力が強いという面もあると思います。
いま実際に苦しんでいる人、そう簡単に抜けられないという人たちには容易なことではありませんが、そういう環境に身を置き続けることで人生が狂わされてしまうこともある。自由度の低さが、いろんな不幸の要因の一つなんじゃないかと。
流動性がないという意味では、政治家にしたって高齢の人が多すぎますよね。しかも彼らは非常に狭い政治の世界しか知らない。そんな人たちが担っているようじゃ、今の世の中が回る道理がありません。「これが決まりだから」と思考停止していて、ふつうの真っ当な会話すらできないと感じます。彼らは確かに、経験・人脈・お金・時間があります。ならば、一人の人として次の世代を支えていくというか、もっと違う活かし方があると思うんです。彼らには彼らなりの役割が別にある。
だから、いろんな人が入れ替わり立ち替わり出入りするようになれば、いま大澤さんたちが抱えている問題、難民・仮放免状態の方々の困難が少しでも改善されるんじゃないかと思います。寛容度をあげるというか、もう少しゆとりのある社会になっていかないといけないと思います。
大澤:ゆとり、ということに関連して私が日頃感じていることがあって。規範というか常識になってしまっているのでそれを疑う人は少ないと思いますが、「国境」という線がもう少し曖昧ならな、と思うことがあります。私が支援している難民や仮放免状態にある方々の困難は、「日本国籍の有無」「在留資格の有無」といったことが原因の一つです。たかが書類一枚で、その人の生き死にが決まってしまうということに、「人の命って、紙切れで決まるのかなあ…」と、いつも悶々としています。ただ、人にこれを伝えても、あまりうまく伝わっていない感じがするんですけど。
「できることをやる、それに尽きる」〜社会に光を灯す
大澤:今日は高橋さんのお話を伺えて本当によかったです。お話を聞いていて通底しているなと思ったのが、「地べたを見ている」ということだと思いました。生活者、現場の人、何と言ったらいいか分かりませんが、地に足がついているというか。
高橋さん:悪戦苦闘の結果ですよ。恥ずかしいことばっかりで。
運が良かったんだなと思います。人との出会い、人生それに尽きるのかもしれませんね。出会い頭というか。大澤さんもそうだと思いますが、出会った人によって今があるということ。そういう意味では得な性分です。
でも、何かのお役に立てたら。これもある意味で終活なのかなと思いますね。私もこの歳になって、できることをやるというか、それに尽きるんだろうなと思っています。いつ死ぬかわからないけど、死ぬまでに自分の持てるエネルギーや時間、そういったものをしっかり使っていくというか。そういう人生が送れたらありがたいなと。今日は皆さんのような方々とお話ができて、本当によかったです。若返った気分になりました。
こういう活動を続けられている方たちの存在は、この社会に光を灯すようなことだと思っています。色々な人に広がっていけばいいですよね。きっとみんな、少しずつそういう気持ちがあるはずです。
「りんじんハウス」のクラウドファンディングページは上記のリンクから。
国籍やルーツ、在留資格の状況や種類に関わらず、「住まいは基本的な人権」です。
足下にすでにある多様さが編み込まれた街へ、もう一歩。
どうか、このプロジェクトを引き続き支えてください!